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山が、川が、道が、育んだ。
 

【 ささら 】

山本地方のささらには、泉八日・羽立・和田・達子の4種類があります。

■泉八日ささら

言い伝えによれば、西暦 685年、斉明天皇期の阿部比羅夫東征の時、その配下の一軍が八竜町の明神裏手に上陸、この地の民の人心安定に用いられ、船頭藤原某より泉八日「ささら」が伝えられたとされていますが、史実的には明らかではありません。昭和27年、森岳温泉の開発により、急速に地元郷土芸能として注目を浴びるようになりました。現在は、8月14日に神社、境内で開催されています。


■羽立ささら(羽立獅子舞)

甚だ根拠の明らかでない伝承しか残っていませんが、言い伝えによれば集落近くに館城という所があり、羽立集落の開発も戦国末期ではないかと考えられるので、村民は伝承の時代を江戸中頃と考えてます。伝えによれば、どこからともなく来た3匹の獅子のうち2匹は長旅のあまりの疲労にどこかにはぐれ、最も体力があった雄獅子だけがかろうじてここまでたどりついたといいます。そこで村人は、雄獅子の面を手本に中獅子と雌獅子の面を作り、3匹そろえて「ささら」の面にしたと伝えられています。現在は、8月14日、15日に神社境内、集落「宿」で開催されています。


■和田ささら

起源には2つの言い伝えがあります。1つは吉朗兵衛という人の家に、古いひいらぎの木があり、ある日その木の枝に、どこから飛んで来たのか1つの獅子の面がひっかかっていました。吉朗兵衛は、村人に、ぜひ獅子舞をして村の安全と繁栄を祈るべきだと説いたそうで、村人もこの不思議なことは村によいことだと考え、獅子舞を始めたといいます。もう1つは、阿仁のある村へ和田村から何人かの若者が出稼ぎに行き、その先の村人から習い覚えて帰り、和田の「ささら」をつくりあげたといいますが、その阿仁の村の名や若者の名、その家については伝えが残されていません。8月13日、14日に「宿」や地域で開催されています。

■達子ささら


起源は明らかではありませんが、能代市、道地の流れをくみ、町内で唯一女性がやっこを舞っています。現在のささらは、昭和58年に40年ぶりに集落若者たちにより、伝承者から身振りや口笛などを聞きながら再生したもので、当時のものとは、若干違うものになっています。しかし、そのアレンジを加えた笛、拍子などは、当時のものに優るとも劣らないと村人たちに絶賛されています。やっこ踊りは子どもたちも舞います。8月13日、14日に神社、集落「宿」で開催されています。

  
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